ある時ふと気が付いた、人生残りあと半分なんじゃないかと…

私は今「辛い」とか「苦しい」ということがあまりなくて、今が一番幸せと思う。

 

それは物理的に、

微量の精神薬(止めると調子が悪くなる気がするから続けている)のおかげかもしれない

し、外に働きに出ていない、子ども関係の役員などもしていない、

となると特に責任が伴うこともない、

(家事は別として)自分が苦手だと思われることもしなくていい、

そもそも身の回りの事がうまく出来なくても誰にも文句を言われない(夫が言わない)、

という環境が大きい気がする。

それと、住み心地の良くない地元から離れたのもとても大きい。

 

あんまり言いたくないけど、「自由」と言うのか。

 

でもこの「自由」というのも、

聞こえはいいし、もしかすると羨む人もいるかもしれないけど、

全然いいものじゃない。

 

まず、バリバリ働いていたらどんなに素敵だっただろう。

パートでもバイトでもどんな雇用形態であっても、正職員のような稼ぎでなくても、

働くこと自体が素晴らしいことだと思う。

でも働いている人を尊敬するのと同時に、自分に対して劣等感が襲ってくる。

専業主婦だって家で働いてるとか、家を守ってるとか支えてるとか、

一部の人は言ってくれるかもしれないし、本当に思っている人もいるかもしれない。

でもこのご時世、バッシングする人もいたりして。

バッシングするのは違うと強く思うものの、何と言っても自分に自信がない。

世の専業主婦の方に普段思うことは何もないのだけど、いろいろな方がいるのだろうけど、

自分に限っては「できなさすぎ」と思ってしまう。

借り住まいの住居は決して広くはなく、収納も少ない。

そのせいにしている訳ではなく、ただただ自分が片付けられない。

整理整頓が苦手な上、掃除も得意じゃない。

家計管理も上手くできない、

子どもの身の回りのこともちゃんとしてやれない時ある、忘れる、ミスする、

唯一やれてることは、家族みんなのためにご飯を作ることかなと思う。

なるべく栄養が摂れるように、体調を崩さないように、とか。

小学生の子どもたちが毎晩のように夕ご飯は何か聞いてくるのも、時々うとましいけど

原動力になってる気がする。ご飯を楽しみにしている気持ちに応えたいなとか。

 

…そんなご飯だけ作ってる自分を認めたいのではなくて、

 

 

やっぱり自分は「なにものか」になりたい。

今までも、今も、それになれてない。

こんな歳になって自分が見つからないみたいな、昔「自分探し」ってよく言ったよな…笑

 

自分が働かなくても暮らせていて、

支えてくれる夫にも、日々私を頼りにしてくれて時に助けてくれる子どもたちにも感謝

しつつ(普段なかなか意識できないけど)、

だけど自分自身は足元はグラグラ、自分が定まっていないような。

母親なのに、そもそもいい歳した大人なのに…

 

自分の人生ってなんだったんだろう、と今までの人生を振り返ってみたり、

え?このまま何もない自分のまま人生を終えるの?と思ってみたり、

 

 

その時でしょうか、

日本の女性の平均寿命(ちゃんと分かっていない)のだいたい半分、

もう生きたんじゃない?

と。

 

となると、残りの人生もう半分だ、今まで生きてきた年数をこれからまた生きるんだ。

と思った記憶があります。

よくよく考えたら、

いつ人生が終わるかなんて分からないのに、平均寿命まで生きれる保証もないのに、

あまりに安易な考えかもしれませんが。

 

 

…となると、やりたいこと、できること、やらなくちゃ!!!

となったわけです。

自分自身に納得できるように、人生の終盤に後悔していないように。

 

ただでさえとんでもないスピードで過ぎていく日々、

何とか自分に合った生活スタイルを見つけて、

自分のための時間も作る。

それがそんなに遠くない未来に、家族みんなのためになる何かになるといいな、

と思います🌱🌈

 

 

 

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